オックスフォードからロンドンに移り、昨晩はロジャー・リンデンのミーティングに参加してきました。
そこにはルパート・スパイラのリトリートで会ったイギリス人女性もいて、帰り道にルパートとロジャーの表現が全然違うことについて少し話しました。
ロジャーは基本的にトニー・パーソンズと同じように「行為をする者は存在せず、行為もなく、すべては見かけであり、既にすべては解放されており、できることは何もない」という表現をします。
なので、たとえば「特定のエネルギーによって覚醒が促されることがあるか?」というような質問に対しては、
「そのように見えることが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。そのように見える事例は確かにあるし、目立つ。だが、そもそも覚醒する個人というものは存在しないし、それがあるように見えるのは見かけだけの話。それは全て<それ>の中に現れているように見える夢の内容にすぎない。」
と答えます。
また「ミーティングに来るたびに、この時間には言葉を超えた何かが起こっている気がする」という人がいれば、
「それは結構。だが、そのような知覚や思考は他のすべての知覚や思考と同じように何も意味をもたず、それを何か意味があるかのように考える思考が起っているということにすぎない。この部屋の空間でさえ、空間を超えた<空間>の中で、存在しているかのように見えているだけ。」
と答えます。
ある意味で取り付く島もないという感じではありますが、そこにはある種の愉快さや自由さもあって、それはトニー・パーソンズのミーティングでも感じました。
一方で、ルパート・スパイラの表現はかなり違います。
今回のリトリートで、それを示すあるエピソードを披露していました。それは、しばらく前にイタリアでミーティングをした際に空港に到着したときのことで、出迎えてくれた友人が「フライトは何時間だった?」と尋ねたのに対し、ルパートが「2時間だったよ」と答えたというものです。
そのときルパートは一瞬時間のことを思い出そうと努力し、時間&空間の世界でそれがどのくらいの時間だったかを考えたというのですが、それはいいとして、そのときに「2時間だったよ」と答えるかわりに「時間は存在しない」と答えることもできたが自分はそういうことはしないと言います。
それは、「フライトは何時間だった?」という言葉が、「I love you」がその時に男性と男性の間で交わされるのに相応しい形で表現されたものであることが理解できたからであり、自分の「2時間だったよ」の返事も同様に「I love you」であったといいます。
分離している個という幻想がある中では、それに応じたやり方があるということではないかと思います。逆に言えば、彼がいつも言うように、分離の幻想があるのに非二元をコンセプト的に理解し表現することは更なる苦しみを生むということです。
どちらが正しいかというよりも、特定のボディ・マインド(身体・精神)の個性なのでしょう。自分としてはルパートの愛情あふれる表現にも惹かれるし、ロジャーがお茶目に笑いながらするストレートな表現にも惹かれます。
また、彼らのどちらにしても、その表現の個性の中において、徹底的に妥協しない姿勢が貫かれている気がして、それについては気持よさや信頼の感覚があります。
ミーティングの帰りの地下鉄で、「べつに選ばなくても両方を楽しめばいいんだ」という思考が起こり、少し楽になった気がしました。
余談ですが、冒頭に書いたイギリス人女性が、こうしたことに興味をもったきっかけを話してくれました(僕が訊いたのですが)。
10年以上前、彼女がボートで川旅をしているときにエンジンが故障したそうです。それで近くの修理工場に行きエンジンを直してもらった際、そこの修理工の男性が突然トニー・パーソンズの本(The Open Secret)をくれたというのです。それまで非二元とか覚醒といったことに興味はなかったのが、その出会いによって探求が始まったそうで、本当に面白いなと思います。
(2015年2月追記: 商業的な迷惑コメントが多いため、一時的にコメント書き込みを停止)