スコット・キロビーの身体関連エクササイズについて紹介してほしいというリクエストがあったから、短いものを訳してみた。
この文で紹介されているティア (階層) という概念は、スコットの別の文によるとこんな感じ。
ティア1: エネルギー的な自己収縮
ティア2: それが思考、感情、身体感覚として現れたもの
ティア3: それが主に何かを探し求める行為や作用として現れたもの
でも、実際にそういう層が存在しているわけではなく、問題解決のための概念として使えるからそういう分け方をしているらしい。
それと、文中に出てくるリビング・インクワイアリー (Living Inquiries) というのはいくつかのテクニックを含むもののようだけど、詳しくはわからない。ここに出てくるエクササイズの目的 (思考が活発なときにそこから離れる) のためには、QEのように思考をただ見るということをすればその代わりになるのかなとも思う (かなり適当)。
原文: Tier 1 Body Contraction Exercise 1: Restful Tapping
== 以下、訳 ==
ティア1 身体収縮に対するエクササイズ 1 – くつろぎのタッピング
「ティア1 身体収縮」の意味がわからない人は、この記事 (英文)を最初に読んでほしい。簡単に言うと、収縮というのは各チャクラの領域にある密度の濃いエネルギーだ。頭のてっぺんから股間までつながっているホースを想像してみよう。静かに座って、そのホースのどこがよじれている気がするか、注意してみる。それが収縮だ。収縮の場所を見つけるもうひとつのやりかたが、強烈に何かがしたくなったり、何かにはまってしまっているように感じたりしているときに、自分の身体を感じてみるということ。感情や渇望の下には固くて濃密なエネルギーがある。それが収縮だ。普通問題になるのは、どの収縮から取り組むかということだ。性器から頭頂にかけて各チャクラに順番にワークしていくほうがいいという教えや方法もある。それでもいい。もしくは単純に、一番密度が濃い感じがする領域、あるいは依存的な渇望が起こっているときに活発になる領域からはじめてみてもいい。
依存に関係する身体の収縮に対して、つぎに紹介するエクササイズを僕は自分自身でもしてきたし、キロビー・センターでほかの人たちにもやってきた。そういう濃密なエネルギーを解き放つのに、このエクササイズはかなり役立つことがある。依存だけでなく、僕が収縮と呼んでいるこの強い分離感に関係するほぼすべての苦しみを楽にしてくれる。
エクササイズは目を閉じたままで行う。
- まず収縮したエネルギーを自分自身として感じることから始める。考えないこと。そのエネルギーの外側にいようとしたり、気づきとしてそれを観照しようとしたりしない。完全に感じる。考えないというのは、そのエネルギーに名前をつけず、頭を休ませておくという意味だ。頭が働いてしまってエネルギーを直接感じられない場合は、リビング・インクワイアリーを使って、収縮したエネルギーから注意を逸らしてしまう頭の中のストーリーをくつろがせる。
- 収縮を感じながら、その収縮についている、あるいはその収縮の近くにある形かイメージを探す。エネルギー自体がイメージや形になっていることもある。見つけた形やイメージを見ながら、その身体感覚としてくつろぐということを続ける。エネルギーに形もイメージもついていない場合は、収縮そのものだけをやさしくただ感じる。
- エネルギーを感じ、そこにある形やイメージに注意を向けながら、収縮に対してこう言う。「現れてくれてありがとう。愛してるよ。好きなだけここにいていいからね」。これは収縮に対する抵抗をしずめるのに役立つ。これを言ったあと、くつろぎながら、エネルギーやそこにある形やイメージをしばらくそのままにしておく (10秒から30秒) 。
- 2本の指の先でつぎの場所を順番に7回ずつ軽くとんとんとたたく。眉間、目の横 (こめかみ側) 、同じ目の下 (頬骨の上)、首のつけね (鎖骨の上)。最後に収縮そのものがある場所を7回軽くたたく。たとえば腹部で収縮が感じられるなら、そこを7回指でたたく。
- 片手の手首を反対の手でつかむ。深く長く息を吸い、深く長く息を吐く。
- くつろいで、自分の身体の内側と外側に空間がひとつの空間としてあるということに気づく。この時点では何もしない。収縮がその空間と融け合うままにする。
- 収縮がどう感じられるかに注意を向ける。もっと固くなっただろうか? それともやわらいだ感じがするだろうか?
- 最初に戻って、収縮がどこかに行くか、ほとんど溶け去ってしまうまで、1から7を繰り返す。
このエクササイズを毎日最低1時間は行う。それに加えて、1日に何度か短時間行う。依存的な渇望、もしくは不安や鬱のような感情的なトリガーを強く感じている場合は特に。
このエクササイズは、収縮がどこにあるかに関係なく、頭でも身体でもどこにあるどんな収縮に対しても行える。
このブログ(http://naturalrestforaddiction.com/blog/) (英文)を引き続きチェックしてほしい。依存や不安や鬱などの問題に使えるくつろぎのタッピングのいろいろなバージョンを紹介していく予定だ。
このエクササイズは、ナチュラル・レスト、リビング・インクワイアリー、EFT式のタッピング、ハワイ式の許しの実践の変更版を組み合わせている。
== 訳は以上 ==
1日1時間という文字を見た時点で、怠け者の僕などはさっさとあきらめてしまうが (ビッグ・チルやQEはその意味でとっつきやすい)、実際に効果が出た多くのケースがあるらしい。
スコット・キロビーの記事の紹介はたぶんこれでいったん終了。
どうもありがとうございます。
スコットキロビーさんの文章を二つ読みましたが、自分がなんとなく感じていたこと(見性って身体の上部のエネルギーブロックが溶けただけでは・・・)が言語化されていてびっくりしました。
結局のところ心理セラピーもボディワークも成功哲学も非二元論も、すべてエネルギーの収縮を溶かすワークと定義することができるのかなと最近は思ってます。
自分は去年二回ほどいわゆる覚醒っぽい体験がありましたが、ハートチャクラも関わってそうな感じがしました。こういうのも個人で違ってくるし、あまり覚醒とか見性とか体験をラベリングしても仕方ないかもしれないですね。
ただ「探求が終わった」という言葉はほとんどの場合自分で勝手に制限やゴールを作ってしまってるだけな気はします。
やり方については、個人で得意とする感覚があるんじゃないかなと思います。僕はセドナメソッド、コア・トランスフォーメーションなどいろいろやりましたが、言語で対話するのはいまいち上手くいかなくて、結局シンプルに身体感覚として感じるというやり方が現在のところ上手くいってます。
星の旅人さん、コメントありがとうございます。
エネルギーの収縮が「個」の本質だというのはトニー・パーソンズもけっこう言いますね。ただ彼の場合は、そこ(収縮にも解放にも)には何も意味はないしコントロールもできないと強調して、セラピー等を否定するので、星の旅人さんとはちょっとニュアンスが違うのかもしれません。でも、セラピーが起こるのであればそれに観念的に抵抗するというのはアホな話だなと僕も最近感じます。
そこは「探求の終わり」という線を引くことの不自然さ、傲慢さにも通じるのかなと思います。スコット・キロビーやジェフ・フォスターといった、いちどは「解脱パラダイム」に染まっていた人たちが、終わりはないという点を強調しているのはありがたいことです。
コア・トランスフォーメーションは僕も以前やったことがありますが、あまりにすぐに深いところに入れるのでびっくりした覚えがあります。そのときに手足が勝手な感じで動き出すという経験もあったので、そこも言語系、身体系というラベルはもしかしたらあまり要らないのかなという気もします。それにしても身体を相手にしていると 、終わりがないということ自体が解放なんだなというのが明白になって面白いです。
経験についてぜひまた聞かせてください。
ご返信ありがとうございます。
つたない経験ですがお役に立つ人もいるかもしれないので書いてみます。
1回めの経験に関しては去年、シルバメソッドのセミナーの初日の帰り道、
突然自分がなくなる体験がありました。
風景がひとつの絵のようになり、他人も消えた感じになりました。
その後、胸のあたりから自分が立ち上がってきて、体験が終わりました。
二回目は祭りの会場でルパート・スパイラのプレゼンスを三周目だったでしょうか、
初めのあたりを読んでいて、「自己は決して対象化されない」という言葉が突然入ってきました。
その時自己を『見ました』。胸のあたりにあった焦燥感のようなスパっと落ちました。
一回目よりずっと圧倒的な感覚でしたが、それもいずれ消えました。
関係ありませんがシルバメソッドでは、効果的感覚投入といって、
現在の肉体の視点から、別の視点に入ることをします。
これはレスター・レビンソン(セドナメソッドの創始者)の覚醒の物語にも出てきますが、
肉体に縛られない自己という観点を持つためにもいいやり方だと感じています。
セドナメソッドに関しては、あの問答がどうしても馴染めずにやらなくなっていたのですが、
「レスターは3つの質問などしていない。ただ手放すと決めただけだ」という話を聞いて、それがずっとひっかかっていました。
去年暮れにどうしても不安な感情が手放せなかった時に、ふとセドナメソッドの本の書評を見たくなりamazonで読んでいると、caslavskaさんという方の書評が目に止まり、そこでキロビーさんが定義するところの自己収縮に対する「態度」みたいなものが、腑に落ちました。
それまで感じようとして、抵抗していたんですね。
それから知覚全体が柔らかくなった感じで、身体もフワっと感じることが増えました。
体験として一番インパクトと継続性があったのは、それだったかもしれません。
その感覚は今も深まっています。
エネルギー収縮がなくなると個がなくなるかというと、それはちょっと違うんじゃないかな?と感じます。
これは現実がひとつかどうかという話にも通じますが、この辺りを不二二元論をベースにした本で書いているのは、僕が読んだ限りでは「なまけものの悟り方」だけでした。
僕は伝統的な修行(武道や仙道)も少しやっていたのですが、自由意志の否定や個の否定のような「教義」は存在せず、むしろ決断することの大切さや中村天風の成功哲学などを師匠(禅で見性を得た方です)は説いていたので、こういったネオアドヴァイダの主張はどういった流れから来てるんだろう?とちょっと不思議に思っています。
星の旅人さん、さっそく体験について書いていただいてありがとうございます。すごく興味深い考察だと感じました。
「ネオアドヴァイダの主張はどういった流れから来てるんだろう」というのは、本当にそうですね。何に対して言ってるのかなというのは最近少し感じます。ネオアドヴァイタが否定するものがそもそも共有されていない文脈では、あまり聞く意味のない話なのかもしれません。
西洋の探求者の典型的なひっかかりどころ (あからさまな例で言えば結跏趺坐のような東洋的な形式に何か意味があるとか) に対して強く「そうじゃない」と言っているという面はあるのでしょうが、まあどうでもいいと言えばどうでもいい話です。
いずれにしても、同じような情報にばかり接してきた身としては、星の旅人さんには新鮮な視点を持ち込んでいただいてとてもありがたいです。
どうもありがとうございました。
古閑 様が訳された本も、QEとわかっちゃった人たちのほうを以前購入させていただきましたが、
特にQEの「無から思考が発生するプロセス」の図に大きな示唆を与えてもらえました。
現在僕は伝統的な修行も~メソッドも一切やっておりません。
気が向いた時にセルフでワークしてるだけです。
でもこれらのシステムが意味が無いのではなく、たくさんヒントはもらっています。
昨日こちらでまとめて書いたせいか、大きな感覚の進展がありました。
知覚や感覚の質や身体症状は、常に道を指し示してくれてるんだと思います。
はじめまして。
qeの本を拝読し検索してこちらのブログに辿り着きました。貴重な情報がいっぱいで昨日から読み更けっております。ありがとうございます。
ところで、この記事のタッピングをやろうと思ったのですがいまいちツボの位置がわかりません。
もし図や動画のようなものがあったらご紹介いただけると大変助かります。
wxyさん、はじめまして。
スコットが実際にタッピングをしているところを見たことがないので正確なところはわかりませんが、おそらくEFTのタッピングを流用しているのではないかと思います。なので、EFTのタッピングの図説にあるようなポイントでいいはずです。