自分は愛に値する人間ではない。あるいは、自分が愛に値するようになるためには時間 (修行、改善、悟り、何かの向上) が必要だ。
こういう考えがいかに嘘であるかを、J・マシューズはときに詩のような一節、ときに彼女流のユーモアや比喩を使って新刊で表現している。
何かを読んで大きな衝撃を受けたのは久々な気がする。それがどんな衝撃だったかを整理して書き表わそうとして、ここ何日か考えていたが、どうもわからない。ジョン・シャーマンのメソッドをした直後にもそんな感じを味わったが、それと同じだ。
ただ、ジョン・シャーマンのときとは違って、表せなくてもいいやという感じがけっこうある。表す必要があるという考え自体が過去の何かの慣性にすぎないようにも思える。
2冊の新刊を出した経緯について彼女に尋ねたら、「急に文章がバーっと出てきて、それを書いた」ということらしい。たしかにそういう勢いがある。狙って書かれたものではないことが明らかだ。
新刊『Truth Is』のなかで気に入った部分を訳して紹介したい。
ここに掲載することについては著者から許可をもらっている。許可というか、「どの部分でも本当に好きなだけ訳して載せてもらっていいからねー!!」的なすごく気持ちのいい「Yes」だった。そういう人になりたい。
本からの抜粋の前に、彼女のウェブサイトにある文章を訳した。ふたつある。
原文: About (In Light)
== 以下、訳 ==
悟りについて
― 道筋と目的地はまったく同じもの ―
あなたの真の自己はまさに愛そのものです。あなたの真の実体は、一日を通して同一化しているおしゃべりな思考や波しぶきを上げる欲望とはまったく関係がありません。あなたの真の自己は、すべての人、あらゆるものと結ばれています。何もあなたを傷つけず、あらゆるものがあなたを支えていて、あなたに差し出せるのは愛のほかに何もありません。
私たち誰もがこのことを認識しています (そして、もしまだだとしたら、もうすぐです!)。私たちはそれを認識し、忘れて、そしてまた認識します。やがて、ずっと認識しているようになります。
自分が、自分自身である愛のなかへ、自分のもっとも深い部分へと溶け去るままにしておきます。悟りは呼吸のように自然に、そして恋に落ちるようにわけなく起こることでしょう。
J・マシューズ (2017年)
== 訳は以上 ==
もうひとつは基本原則みたいなもの。
原文: Guiding Thoughts (In Light)
== 以下、訳 ==
導きとなる考え
- 悟りとは、自分の真のアイデンティティは愛であると思い出すことを表す言葉です。
- 愛は在ります。それは、私たちが個として悟っているかどうかには関係ありません。
- 突然の悟りと徐々に起こる悟りは同じものです。というのも、道筋と目的地はまったく同じものだからです。
- 私たちは時間のなかで起こる見かけのストーリーに焦点を合わせることもできるし、今この瞬間に愛に焦点を合わせることもできます。
- 私たちは今この瞬間に愛を選択します。苦痛と心配をもたらす考えの連なりにいつものように注意を向けたあとにではなく。
- この選択が私たちの歩む道であり、この道は私たちの目的地でもあります。
- 悟りは選択です。それは「いつか」起こるものではありません。なぜなら悟りが起こるのは今だけだからです。
== 訳は以上 ==
ふたつめのものは箇条書きだし、どことなく唐突な印象もある。それにくらべると新刊2冊は「いきなり感」はあまりなくて、この「原則」をもっとわかるように展開している。
ここに訳したのはThought というタイトルの章。章といってもそんなに長くはなく、紙の本で3ページほど。
抜粋元: Truth Is (J・マシューズ著)
== 以下、訳 ==
第7章 思考
「愛はある」「神はある」「万事よし」、あるいはそれと同様の言葉は、持つことのできる考えとしては唯一真実を示しています。
愛だけが現実ですから、ストレスに満ちたこと、愛のないことをもし考えているとしたら、そうした考えは投げ捨ててしまっても問題ありません。
もしその考えが重要な真実を表しているとしたら?
愛だけが真実なのですから、その「考え」は誤った見解を表現していることになりますし、真実ではありません。
もし無限の愛を受ける価値が私にないとしたら?
あなたの言っている「私」は、恐れを土台にした偽の自己です。
この自己が経験できるのは恐れだけであり、そうしながらいつか恐れがやわらぐことを願っています。あなたはこの自己ではありませんし、実際のところそのようなものは存在もしていません。
あなたは無限の愛そのものです。
私が無限の愛だなんてありえません。なぜって私はドラッグに依存している (あるいはホームレス施設に住んでいる、あるいは服役中、あるいは私は教授なのですが終身在職権をもらえない可能性がある) からです。
時間のなかにいるマインドは、あなたが神とひとつでない理由を必ず捻り出します。時間とは、神からの疎外という虚偽の状態なのです。
*
こう考えてみてください。
今の瞬間というのは、座ろうとしているソファのようなものです。
あなたは疲れていて、ひと休みして当然という状態ですが、ソファの上には古新聞が山積みになっています。
さて、どうしますか?
その新聞紙には使いみちがないことを確認してから、処分します。
または新聞紙を持ち上げて、とりあえずどこかに動かします。
思考についても同じことです。
何かの思考が虚偽であることがわかったら、それを捨ててしまってもかまいません。
そうでない場合は、穏やかにその思考をやり過ごして、注意を愛 (神) に向けることができます。
古新聞が置いてあるからといって、ソファに座るのを嫌がったりはしないのではないでしょうか。
なのになぜ、無限の愛へ向かうのをいくつかの考えが邪魔しているときに、その状態のままにしておくのでしょう。
自分の置かれた状況を変える努力をすべきではないですか?
自分の注意を向ける場所を変えてください。そうすれば状況は変わります。
時間のなかにいるマインドは必ずこう言います。「今は問題に集中するときだ。そうすれば、そのうち問題は解決するだろう」
そうではなく、愛に集中してください。
伝統的な姿勢で正しい瞑想をしたりする必要はありません。
たった今、愛にただ注意を向けてください。
*
いつでも、この瞬間に、愛に注意を向けてください。
体は見かけ上の問題をどうにかしようと努力を続けるかもしれませんが、それは問題ありません。
ただ愛に注意を向けてください。たった今。
それはやってみたことがあるのですが、うまくいきませんでした。
やすらぎと愛と慈しみのなかにいた時間は、そのすべてが蓄えられて1千倍になり、千の天国を生み出します。
そしてそれと同時に、存在しているのは愛だけです。
ですから、うまくいかないことなどありえるでしょうか?
うまくいかなかったというその観念は、あなたがいま経験している考え以上のものではありません。
== 訳は以上 ==