ジャック・オキーフとカール・レンツ SANDヨーロッパ

 
SANDヨーロッパでは、本日程が始まる前に、三日間に渡ってワークショップが開かれた。僕はそのうち三つに出てみた。ルパート・スパイラ、ジャック・オキーフ(Jac O’Keeffe)、カール・レンツ(Karl Renz)だ。

ルパートのワークショップは、いつもの彼の話がいつものように展開されたという感じで、特に思い出すこともないくらいだ。今回強調されていたのは、気づきには二段階あるということで、一段階目は、すべては無、空であり、私も存在していないという認識。二段階目は私はすべてであるという認識。このことを詳しく説明していた気がする。

ウンマニやジェフ・フォスターのワークショップもあったのだが、今回は今まで聞いたことがない人の話を聞きたいと思っていた。だが知らない名前が並んでいたので、この世界に詳しいイギリスの知人に、誰がいいか質問してみた。そうしたら、ジャック・オキーフが面白いのでは、ということだった。

ジャックはアイルランドの女性で、中米か南米に住んでいるらしい。こんな人だ。

Jac O’ Keeffe Born To be Free pt1

本物のジャックは動画で見るよりも若くて綺麗で、休憩中に別の参加者と「Youtubeと全然違うね」と言い合ったくらいだった。

彼女が話していたのは、マインドのトリッキーな性質についてだ。あらゆるものをマインドは自分のものにしようとするが、マインドが見つけることができるものは現実(リアリティ)とは全く関係がなく、それは常にtoo lateなのだ、ということ。そのことを面白いエピソードを交えて生き生きと話していた。

それから、質疑応答の時間には、誰かが何か質問をするたびに、それに直接答えるかわりに、その質問の前提になっている観念を鋭く指摘していた。と言っても、ユーモア混じりなので、厳しい感じはない。笑いには大いに助けられた。

そして、カール・レンツ。ティルヴァンナマライでサットサンをしているという情報から、よくあるパターンだなと敬遠していたし、誰からも彼を薦める言葉を聞いたことがなかった。が、ともかくワークショップに出た。

ドイツの人で、こんな感じ。

Karl Renz – Enlightment in 70 seconds.wmv

カールの話によると、カルロス・カスタネダ全盛の時代に、あらゆるドラッグを試して、意識の違った次元の探究を繰り返したらしい。5年間ほど続けた結果、どんなものを見つけても、どんな認識を得ても、結局把握できるものは〈それ〉ではないという洞察を得たという。

彼のメッセージはいわゆるNeti Neti(これではない、あれではない、という否定の道)で、その強烈版だ。大竹まこと風の露悪的なしゃべりには最初驚いたし、繰り返される下手なおやじギャグには最後まで辟易した。が、トニー・パーソンズを超える妥協の無さで、あらゆる概念、観念を否定し、何の救いも提供しない姿勢は一貫していた。その意味では見事だと思う。でも、また聞きたいかと問われたら、もういいと迷わず答える。

そんなカールだったが、休憩時間中に少し話をしたら、その目は本当に優しかった。まるで我が子を見る母の瞳だった。まったく警戒できない感じだ。それは普通に考えたら矛盾なのだが、たぶんそれは全く矛盾していないのだろう。稀有なあり方だと思った。