マイナス思考の威力 ジョーイ・ロット

 
ポジティブ・シンキング (プラス思考) が嫌いだ。「引き寄せの法則」と同じくらい。(「市民運動と同じくらい」と書こうとしたけど、原発事故のあと市民運動アレルギーはいつのまにか治った)

嫌いなことの多さには自信があるけど、これはレベル8くらい嫌いだ (10がまったく耐えられないレベル) 。

だからなのか、こんな記事が目についた。訳してみた。

原文: The Power of Negative Thinking (joeylott.com)

== 以下、訳 ==

マイナス思考の力

僕らはプラス思考の効果のことならたっぷり聞かされてきた。

でも、マイナス思考がもってる力についてはそんなには聞いてこなかった!

え? からかおうとしてるんじゃないかって? そんなことはない。マイナス思考の力はたいていは見落とされている。それにマイナス思考の力というのは、ほかではほとんど耳にすることがない秘密だ。

「ネガティブ」な思考だけしか考えないようにしましょうとか言ってるわけじゃない。まあやってみればいい。そんなことはできないから。実際にやってみてほしい。いま30秒あげるから、ネガティブなことだけを考えてみて。じゃあ、どうぞ。

はい。おわり。どうだったろう? うまくいかなかったんじゃないかな? そう。ポジティブな思考かニュートラルな思考が少なくとも一つは割り込んできたはず。それか、何もない時間があったとか。混乱もあったかも。方向感覚がわからなくなったりとか。まごついた人もいたかな?

で、これこそがポイントだ。自分の思考をコントロールする方法はない。できるとしたら、くだらないことをさらに重ねることくらいで、そんなことをしてれば頭がひどい便秘になるだけだ。楽しい生き方じゃない。

それに不毛だ。

なにしろ、プラス思考の力について教わることは全部単なるたわごとだ。ポジティブなことだけを考えていられるとしたって (無理だけど) 、それで達成できたことといったら、ポジティブなことを考えるってことだけだ! それだけ。

なぜか? 普通信じられてることと違って、思考はただ単に思考だから。思考は何も意味してない。思考は何も生みださない。思考はただ思考なだけ。

マイナス思考の力といっても、それはネガティブな思考にもともと力がそなわってるという意味じゃない。そんなことはない。ネガティブな思考も単なる思考だ。マイナス思考になんで力があるかと言えば、それはネガティブな思考に対して、先天的か後天的かは知らないけど僕らが特定の反応をするからだ。避けようとする。ネガティブな思考を避けようとすれば、いますでにあるものとしてあるやすらぎと自由をものすごく邪魔することになる。

今では有名になっているユングの「抵抗すると、それは存続する」という言葉を聞いたことがある人は多いと思う。いまのところはこの言葉は事実のようだ。というわけで、自分の人生で「ネガティブ」なものを全部避けようとしてどれだけ労力を使っているかに注意を向けてみよう。

ひどい鬱状態とか怒りみたいなどうしようもなくネガティブなものについても。そういうことにどれだけ抵抗し続けてるかを見てみる。鬱が本当の意味で歓迎されることはめったにない。怒りだって本当に迎え入れられることはほとんどない。

名前やラベルをつけたりする習慣も、抵抗のひとつの形態だ。盾か防護壁みたいな。まるで名前をつければ自分は現実から守られるというように。鬱状態、怒り、いろいろな現実から。

つまりマイナス思考の力というのは、ネガティブに考えましょうってことじゃない。どんな思考も迎え入れるってことだ。ネガティブだと思える思考も全部。それは、どんな経験も迎え入れることだ。ネガティブだと思える経験も含めて。

で、このことがすごくパワフルなのには理由があって、それは、抵抗しないですべてを本当に迎え入れると自由になるってこと。というよりも、存在するすべてとしてずっとそこにある自由を認識するようになると言ったほうがいいかもしれない。

まじめに言ってる。

やってみてほしい。

いますぐに。

すべてがそれ自体で現れて消えるのをそのままにする。指示もコントロールも許可も何もしなくても、すべてが起こっていることに気づく。思考を考えてるのが自分じゃないってことに注意を向ける。自分で思考を生み出してるわけじゃない。思考を監督してるわけでもない。というか、そもそもそれは自分のものですらない。

ネガティブな思考が生じるままにしよう。そしてそういう思考がぐずぐずしていたら、そのまま放っておく。そのうち思考が勝手に消えだしたら、そのままにしておく。

で、この思考はネガティブだなという思考が現れる前、その思考はたんにこれだってことに気づこう。実際、それは思考だとも言えない。単にこれだ。

いわゆるポジティブな思考も同じだってことに注目する。ポジティブな思考も単にこれだ。それだけ。ほかにどんな意味もない。これと別のものじゃない。何か別のものと比べられるようなものでもない。ただこれ。

思考が勝手に現れたり消えたりするのを放っておくのがどんなに愉快かわかるだろうか。自分がはじめからずっとそうだった、この消えることのない気づきとしてとどまりながら。

これは何を生むんだろう? どんな意味があるんだろう? こうやって何も気にしなくなると死んじゃうのかな? 気にしなさすぎて、トラックが自分を轢いてもそのままになる? 仕事をクビになるんじゃ? 上司にとうとう本音をぶつけちゃったりするのかな?

どれも単なる思考だ。現れて消えていくままにしておく。そして、思考の前にあるこれ、思考のまさに実体であるこれ、存在するすべてであるこれは、何が起こっても変わらずにあり続けているということに気づこう。

マイナス思考の力というのは、本当の意味で受け入れる力だ。これが賢明なのは、これが、ただひとつの本当の力というのは存在するっていう力なんだってわかることだから。で、この力には原因がない。この力には目的がない。この力は存在するすべてだ。それはここにすでにある。それはいま起こっていることとしてすでにある。そしてこの力は無限に活発で賢明だ。頭で考えられるどんなものよりもはるかに。

ついに、ただここでくつろぐ。どっちにしても、これが起こっていて、それがすべてだ。

== 訳は以上 ==

マイナス思考の威力 ジョーイ・ロット」への13件のフィードバック

  1. 私も「ポジティブ・シンキング」とか「引き寄せの法則」とか、大嫌いです。昔はすっかりハマってましたが・・・その反動ですかね。(苦笑)

    思考も感情もポジティブ・ネガティブにかかわらず、みんな同等、同価値(価値があるっていう意味ではないですが)ですね。。。

  2. ヒロさん
    『わかっちゃった人たち』からこちらに繋がりました。
    翻訳、とっても惹き込まれて読んでいます。ありがとうございます。

    「自分の意志で行動を起こすこと」は可能なのでしょうか。
    自分の意志と思っているのはただの思考で、全て、まったく全てがただ起こっているのでしょうか。
    「意図する」ということを繰り返し言われるのですが、意図することで自分に起こることが(自分の行動も含めて)変わってくるということでしょうか。
    混乱状態です。

  3. 北秋津さん、こんにちは。僕もけっこう好きだったので、その反動です。しばらくしたらまた反動で「非二元が大嫌いだ」とか言ってるかもしれません。

    MAS∞ATOさん、こんにちは。

    僕には全然答えられないのですが、「自分」も「意志」も「行動」も「意図」も「混乱状態」も、どれもすべて思考、名前、レッテルだということを、ジョーイ・ロットは言ってるんじゃないかと思います。答えがないものの答えを探そうとする働きが起こったり、起こらなかったり、雨が降ったり、カラスが鳴いたり、思考と一体化したり、ということかなと。

  4. ヒロさん、こんにちは。
    このジョーイ・ロットという方、いまは活火山という感じですね。ただ爆発するのが嬉しくて、爆発している感じ。それをヒロさんが快調な翻訳で日本語の世界に流れてくださるのがありがたいです。(-||-)
    「マイナス思考の力というのは、……どんな思考も迎え入れるってこと」という言葉、同じレッテルでありながら、すばらしいレッテルですね。
    いつもありがとうございます。
    Love   pari

  5. pariさん、こんにちは。

    活火山! たしかにそんな雰囲気はありますね。そのうち落ち着くんじゃないかということは、本人もところどころで書いているように思います。といっても、いまは勢いのままに爆発し続けてほしいものです。

    いま困っているのは、ジョーイの表現にあまりに魅了されてしまって、他のものが色あせて見えるということです。本の翻訳がなかなか進みません。嬉しい悩みといえば、そうなのですが。

  6. 初めまして・・
    いつも読ませていただいております。

    ルパート・スパイラさんのやわらかさも好きですが
    ジョーイ・ロットさん・・・
    本当に活火山のようですね。両者の表現に引き込まれます。

    >マイナス思考の力というのは、本当の意味で受け入れる力だ。
    >これが賢明なのは、これが、ただひとつの本当の力というのは
    >存在するっていう力なんだってわかることだから

    ここを、読んだとき、なぜだかルパートさんの作られた陶器が
    思い浮かびました。両者とも芸術的な表現の中に

    >ついに、ただここでくつろぐ。どっちにしても、これが起こっていて、それがすべてだ

    が込まれていて。
    芸術的なレッテルがいいなと思いました。
    それと、やっと「わかちゃった人たち」が入手できそうです。
    大切に読ませていただきます。

  7. mtさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

    すごい感性ですね。ルパートのつくった作品をロンドンで見たことがあるのですが、良さが僕にはわからず、その隣にあったルーシー・リーのコーヒーカップだけがえらく印象に残ったのを覚えているだけです。あれはわからなくても全然関係ないと本人が言っていたのが救いでしたが。

    『わかっちゃった人たち』はある意味で偏りも大きい本ですが、逆に方に偏っている雰囲気の中では面白く読める人もいるのかなと感じます。ぜひ楽しんでください。

  8. ヒロさん、はじめましてdecoと言います。
    一年ほど前よりここに訪れては色んな気づきをいただいています。
    ジョーイ・ロットさんの話が出てきてから、以前は何のことか理解?できなかった話が、何を言っているか感じられるようになってきました。

    そして今は、マインドの抵抗にあっているところです。静かな所を感じるとよりマインドから恐怖が湧いてきます。
    ただ、以前はこの感覚の話が出てきていても何の事か理解できなかったのですが、今は感じられることがとても嬉しいです。
    とりあえず、今を感じて過ごして行こうと思っています。

    いつもありがとうございます。

  9. decoさん、はじめまして、こんにちは。

    身体感覚に開いたときに出てくるマインドの抵抗や恐怖については、ジョーイの何冊かの本、特に強迫性障害を扱った本に詳しく出てきますが、基本は「苦しみを終わらせる」の記事の内容そのものです。

    感じるのが嬉しくなった、というのはいいですね。ジョーイも単純な嬉しさを追いかけているうちに、現実の本質、自分の本質がふいにわかったということでした。

  10. ヒロさん、こんにちは。

    テレビに最近よく出ている日本人のカウンセラーも同じことを言っているので、驚きました。

    ネガティブな思考を受け入れるのに抵抗があるのは、簡単に言っちゃうと、損するのが嫌だからですよね。
    損してもいい、と思えるとものすごく楽になるよ、とおっしゃってました。

  11. マキさん、こんにちは。

    損してもいい、とはなかなか思えない人がほとんどと思います。自分の力でそう思えるんだという前提を疑っていない感じがあると、アホ!と言いたくなります。ジョーイと何が違うのか、と言われるとわからないのですが、カウンセリングとかコーチングにいかがわしさを感じるのはその辺りかなと勝手に思っています。引き寄せもそうですが、相当残酷な感じを受けます。

    ただの好き嫌いに理屈をつけているだけですが(笑)

  12. ヒロさん、こんにちわ。
    ジョーイ・ロットの文章に触れると、涙がでてきます。
    訳して公開してくださって、ありがとうございます。

    気になっていて、いまいち、よくわかっていなかったことがあります。
    ヒロさんが、引き寄せの法則を「相当残酷」と感じられるのは、どういった理由からでしょうか?
    さしつかえなければ、知ってみたいなぁと思います。

  13. らふさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    僕も彼の文章を読んでいると、ここで?と思うようなところでジワっときたりします。不思議です。

    「引き寄せ」は、僕にとっては想像力の欠如の象徴です。生まれつき障害をかかえているのは前世のカルマのせいですとか、勝ち組になれないのは努力が足りないせいです、というようなことを平気で言ってしまうのは残酷以外のなにものでもないと感じます。単純にそういうことです。

    アファメーションや想念の操作で何かを引き寄せたとか言って喜んでいるのは、おさるの電車のお猿さんがドヤ顔で運転しているのとあまり変わらない気がします。まあ、そう考えれば虫を踏みつぶす子どもの残酷さに似て、かわいいものであるのかもしれませんが。

    ジョーイ・ロットはManifestation Happens (現象は起こる) という本の中で引き寄せ系の浅知恵を徹底的にやっつけています。ただこれも不思議なことですが、辛辣さの中に優しさがあふれています。

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